ぺこまるの「介護が始まるよ」

2023年5月に父が倒れ、同時に母も認知症に。介護前哨戦の記録。(家族信託についてはこの情報を当てにせず、専門家への確認をお願い致します)

家族信託の準備完了

家族信託の準備が完了した。司法書士の事務所で書き換えられた不動産情報を受取、家族信託の準備はすべて整った。おどろおどろしい権利書はスマートな書類に置き換えられ、名義は私になった。喜びはなかった。厄介なものがまた増えたなというのが感想。

ネットで検索して探し出した司法書士先生、誠実に作業してくださった。後半も綱渡りながら幸運に支えられてここまで来たと言っても過言ではない。

妻は実作業に於いても、メンタル面でも常に支えてくれた。私が混乱している場面で常に冷静にアドバイスをくれたのは彼女である。過大に心配しすぎる私に、適切な回答を出し、それは常に正しかった。

古い価値観においては彼女の人生が一番犠牲になりやすい。それを回避できたことは自分でも大きな成果だと考える。

 

施設への入居が落ち着き、家族信託の準備ができたことで一通りの介護ルーチンはほぼまとまった(終わってはいない)もう火急に対策しなくてはならないことは何もない。

 

かといって自由になったかというとそうではない。週に1~2回の見舞いは必須である。また、相変わらず母の病院へ診療情報提供書を貰いに行ったり、白内障の手術をなんとかしなくてはならなかったり、壊れたテレビを買い替えたり、両親の日常生活全般の責任を負うのである。

 

しかし、素人では不可能な父の介護や、強烈だった母の認知症に対する対策は万全である。この差は大きい。今以上、父の介護度が進んでも、母の認知症が進行しても、基本的に我々夫婦の生活は揺るがないことになる。

 

次のミッションは自宅の売却だが、夏にかけてまだ実家にあるものを父母が欲しがる可能性があり、秋までは温存する予定だ。

 

忙殺され、常に心配事やリスクと隣合わせの生活がプツンと終わると、不思議な安らぎと喪失感に包まれた。意欲がなくなったのだ。少し前であれば海外の旅にでも出るところが、全くそのような欲求がおこらなくなった。(まあ、5日くらいしか家を開けることがそもそもできないのだが)一連の騒動や、自分にあの弟がいることや、膨大な介護費用、介護と関係ないところではインフレ、円安、そして自分の加齢。いろいろな要素がないまぜになって、無気力へとつながっている。人生で初めて「やることがない」感覚にも襲われた。

 

敵をすべて倒してしまったヒーローはなにをして生きているんだろうか。そもそもそんな人、現実にはいないが。

自分の生活を立て直さなくては。