ぺこまるの「介護が始まるよ」

2023年5月に父が倒れ、同時に母も認知症に。介護前哨戦の記録。(家族信託についてはこの情報を当てにせず、専門家への確認をお願い致します)

母の捜索能力

母がA銀行の預金通帳をなくしたので、再発行にでかけた。通帳なくしは認知症の定番技である。大事なものからなくしていく。つまり、大事なものだからとドロボウに絶対わからないような場所に隠し、自分でその場所を忘れるのだ。

これを繰り返していると、銀行に認知能力を疑われ、銀行の責任として口座を凍結してしまう。解除するには多額の費用を払って後見人をつけるしかなくなる。

つまり、再発行は綱渡りの行為なのだ。

なぜわざわざ再発行をするかと言うと、そもそもは貸金庫のカードがなくなったので、これを再発行するために、通帳が必要なのである。貸金庫も凍結されてしまったら、土地の売却がめんどうになるため、こんな綱渡りを繰り返すのだ。
母が作り出した金がらみの問題でも最大級の問題である。

 

待ち合わせからして駄目だった。10時に実家の約束が、母はバス停にいた。まあいいや。10時20分頃、銀行に母が現れた。今どき、銀行の窓口へ行く人はシニアばかりだが、その中でも特に弱った印象だった。

で、開口一番。「貸金庫カードがみつかったの」

って、えっ!

手芸セットの中に紛れ込ませていたらしい。しかし驚いたのは、彼女に「探す」という行為が残っていたことだ。母はなくしものはすべて「どろぼうさん」が持っていったと認識していて、いままで真面目に探したことはなかったのだ。どうしたんだろうか。認知症が戻るってことがあり得るのか、抑肝散の効果がもうでたのか。

 

とはいえ、通帳も必要なので、再発行する。その場で発行してもらえたが一時間ほどかかった。その間に私は母に旅の写真やLEEとの花見の写真などを見せて時間を繋いだ。母と金の話以外の話ができる意義は大きい。母はとても喜んでくれたように見えた。

 

窓口に呼び出されると、新しい通帳。

この時失敗したのはキャッシュカードを作らなかったことだ。

後でわかったことだが口座が凍結されても、キャッシュカードから引き出すことは可能らしい。

母は、暗証番号設定の用紙を前に固まってしまったので、今回作らなかったのだ。

恐ろしいいのはこの後の銀行員のコメント・・・

「お母様、何度も当行へこられて、不明瞭なことを仰っていました」「お母様、だいぶ弱ってらっしゃるようですので、包括支援センターへ相談されたほうがよろしいかと思いますよ」とのこと。明らかに「凍結予告」である。

背筋が凍る思いがしたが、よくわからんって顔でやり過ごした。

後一回でも母がフラフラとA銀行へ顔を出したら、こりゃ凍結確定である。

凍結された後、他の方々はどうやりすごしているんだろうか。

 

冷えた銀行から出ると、37度の強烈な日差しに放り出された。冷やし中華でも食べようということで町の小さな中華屋へ。「この店、前からあるね」という中華や。昼時で結構繁盛している。出てきた冷やし中華は巨大で美味しそうだったが、なにか少し腐ったような匂い。それでも完食した。厨房を見て驚いた。腰の曲がった老人二人。テーブルの伝票もつかめないほど曲がっていたのだ。こんな状態でも仕事をしているのだ。

 

貸金庫は開けることができる状態になった。それが問題なのだ。頭が痛い・・・中身を一体どうすればいいのだ。問題を一個消すと、10倍になって現れる新たな金の問題。

母は冷やし中華を半分ほどはたべていた。あれを半分も食べたというのは、ドグマチールで食欲も復活しているのかもしれない。

認知症になっても意識は人間一人分。次のステップはそんな人間から自由を奪う、施設への入所である。その限られた意識でも楽しんで生きてもらえるよう、施設は真剣に探さなくては。