ぺこまるの「介護が始まるよ」

2023年5月に父が倒れ、同時に母も認知症に。介護前哨戦の記録。(家族信託についてはこの情報を当てにせず、専門家への確認をお願い致します)

迫りくる「実家じまい」

母から連絡。「実家の処分について、3人で話せと父に言われた」という留守電が入っていた。

いったいなんなのか。実家を処分することについては8月に父が決めたではないか。今更と思い、弟に連絡をする。すると、、、「二人はホームに入る、実家は売却。それ以外の選択肢なし。いい加減、ボケ老人の妄言に振り回されるの止めれば?この三連休は本社移転の現場立ち会いで出社。電話は日曜の夕方以降。確約は出来ない。」

 

あまりにも酷いメッセージだ。彼は人として付き合うと悲しい目に遭う。人というより「課長」なのだろう。

酷いメールに打ちひしがれている場合ではない。父は何を考えているのだろう。

父に電話をすると、「そんな事は言ってない」「なにかあったら3人で話せよといっただけだ」「つん◯とつ◯ぼで話ししてるから通じない」弟のことを愚痴ると「気にするな」「あいつは口だけだ」と慰めてくれた。それだけでだいぶ救われた。

 

そうなのだ。実家をたたむことは大仕事だ。想像を絶する。それを弟に「母にやらせろ」と言われつつ、母は何もできなから結局私が全部やるしかない。親がなくなったあとの遺品整理であれば基本全部廃棄で、残すものは自分たちの気持ち次第で進められるのだが、親が存命の場合、その取捨選択が非常に難しい。難しいと一言で言えないほど微妙で問題の多い作業だ。親の世代はとにかくものが多い。どうせ殆どのものを「ホームに持っていかず、でもとっておきたい」と判断するだろう。そうなったときどうするか。私のアパートでは狭すぎる。かといって家は処分するのだから家においていては意味がない。基本全廃棄なのだが、両親にとっては身を切られるほどつらいだろう。一体どうすればいいのか。

 

母の状態も心配だ。実家じまいをイメージするあまり、どうしていいのかわからなくなってしまっているらしい。そうりゃそうだ。いままで55年すみ続けた家を突然でなくてはならない、しかも全部のものを持っていけないとなれば、落ち着かないに決まっている。気の毒ではあるし、また認知症の症状が出ることを考えると気が重い。6月に彼女に認知症状がでたのも、混乱が原因だったのだ。今彼女に認知症状になってくれるのは非常に困る。

 

5月からそんな一進一退を決める判断を数多く迫られているが、ここのところへ来て、疲れてしまった。どうも緊張感が続かない。ああ。